ネットワークプログラミングで遊ぼう!

(FreeBSD PRESS No.17 (2003/07)〜連載記事)

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ネットワークって,とてもおもしろい題材だと思います.ぼく自身が感じるのは, 不特定多数の人に対して,一個人が誰でも「発信」できる,という点で, 人間の文化のありかたに,革命的な進歩を与えたと(勝手に)思っています.

だって,それまでは,たとえばものすごく不本意な対応を企業やお店からされたり しても,情報の発信手段の無い一般人は,クチコミで噂をするか,もしくは泣き寝入り するしかなかったわけです. そういう意味で,個人は宣伝力のある大企業には勝てない,悪くすればつぶされて しまうということがあったのではなかろうかと思います.

しかし今では,インターネットを利用することで,そういったことをだれでもが 公にして,世論を味方にすることができます. (企業は一個人より強いが,世論は一企業より強い)

また,個人でとてもすばらしい作品とかを作ったりしても,今までだとまずは 出版したりして,作品に日の目を見せないことにはどうにもなりませんから, 「出版できるかどうか」が第一のふるいになってしまいます. しかしインターネットがあれば,発表の場があるわけです.だからこれからは, 「Web上で個人が書いていた詩や日記が出版」とか, 「Web上で個人の趣味で定期連載していたエッセイや小説が出版」とか, 「Web上で曲を発表していたインディーズのミュージシャンがデビュー」とかいうことが どんどん出てくると思います.(実際,徐々にそういうのが増えてきていますよね)

インターネットと携帯電話というのは実はものすごい発明で,この2つのことを 予言していたSF小説は無かったのではないか,と勝手に思っています (ぼくはそれほどSF小説を読みこんでいるわけではないので,もしもあったら ごめんなさい.携帯電話はありそうだけど). SF小説は月世界旅行や,原子爆弾とかも予言しているわけですが,こういった 「SF小説での予言」と,「インターネットと携帯電話の発展」の決定的な違いは, 前者は「科学」「発明」に主眼を置いていることに対して,後者は 「人間どうしのコミュニケーション手段として発展した」ということにあると 思います.SF小説はいろいろなことを予言してきたけれど,それは「モノ」を予言 してきただけであり,「文化の変化」は予言しきれていません. つまり,与えた「文化」という点では,やはりSF小説は,インターネットと携帯電話を 予言できていない,と勝手に思っています.違ってたらごめん.

それは,やはりSF小説は,「発明品」をメインに書き込んであって, 「文化」はあまり書き切れていない(とぼくは勝手に思っている)からだと思います. 例えば,携帯電話の登場によって,「待ち合わせ」のありかたが劇的に変化しました. むかしは待ち合わせするときには,「何時何分,どこそこで」ときっちり決めていた ものです.ですが今では,ケータイのメールでいつでも連絡がとれるので, 「あしたは何時ごろにどこそこ駅にきて」「今家を出た.XX時ころに付くと思う」 「じゃあ駅前の本屋で待ってる」なーんてアバウトな感じで待ちあわせるのが 普通です.

他にも,ちょっと知り合った異性に電話番号を聞いたりしても,昔は電話をかける ときには,相手は自宅なわけですから,「親が出たらどう言うか」などと考えたもの です. でも今では,本人のケータイに直接かけるのがふつうだから,(良くも悪くも)昔よりも ずっと気軽に電話したり,夜中に電話したり,長電話したりすることもできます.

また,今では調べものをするときには,「ネットで検索をする」というのは普通のこと です.そのかわり,良くも悪くも,なんでもかんでもヒットしてしまうので, 正しい情報と,間違っている(であろう)情報を,自分の目で見て判断する, という力が重要になっています.また,先にも書いたように, 「個人が不特定多数に対して情報を発信する」という方法において,インターネットは 革命的な道具です.

でも,こういった「文化の変化」まで書き込んであるSF小説って,きっと存在して ないですよね?(あったらゴメン)

連載中にも書きましたが,人間にとって結局のところ重要なのは, 「人間どうしのコミュニケーション」なわけです. だから,例えば「携帯電話つきPDA」と, 「PDAでできるようなことはたいていできる携帯電話」 があるとして,両方ともできることは対して変わらないとしても, PDAはあまり普及しない(一部の人が使うだけ)けど,携帯電話は普及する (みんなが使いはじめたら,さらにみんなが使うという効果がある)のです. なぜなら,電話は人と人とのコミュニケーション手段なので, 万人が長く使うからです.

とまあ,そこまで考えて原稿を書いているわけではないのですが,ネットワークは モノ作りの題材として面白いので,モノ作り大好き人間としては,なにかそっち方面の ネタでも,いろいろと作ってみたいと思っています.で,こんな連載を始めてみた わけです.

テーマとしては,

モノ作りがテーマなので,まずはなにかを作ることを第一に考えています. それも極力,面白そうなもの.万人受けはしないかもしれませんけど.

で,これは筆者のテーマ「いかに勉強を面白くするか」に通じるものでも あるのですが,楽しみつつ,勉強にもなるということを意識しています.

誰だって,勉強よりも,そりゃあ女の子と飲みにいったり,カラオケいって騒いだり するほうが楽しいに決まっています.ぼくだってそうだし,飲みにもカラオケにも 行きます.でも,勉強は勉強で,遊び感覚で楽しく勉強できれば,趣味として 楽しみながら勉強にもなって,自分の実力も上がっていくし,充実感もあるし, 良いよネ!っつー意識ですな.なので,「モノ作りが趣味」「勉強が好き」という 言葉だけを見て,「こいつは人間よりもコンピュータが好きな,人間と接触できない コンピュータオタク」とかいう認識を持たないように! (こういうこと思っちゃう人って,ホントにいるんだよなぁ...)

あとは調べ物ですが,極力,書籍に頼らず,カーネルのソースコードや,フリーソフト ウエアのコード,その場で調べた結果などを参考にするようにしています. FreeBSD のカーネルコードや man page,各種フリーソフトウエアのソースコードは, すばらしい資料,すばらしい財産です.

そして,いつでもPCのハードディスクに入れておけるのです.

書籍もすばらしい資料ですが,常に持ち歩いているわけではありません. なので,まずは man を読む,ソースコードを調べる,フリーソフトのコードを調べる, その場で試せるものは試してみる,ということが重要です.しかし,実際にどのように 調べていくかということを書いてある書籍はあまりありません.なるべくなら失敗談 (調べるときのセオリー通りにこう調べたが,ダメだった,など)も含めて,どのように 調べていくのかという流れを説明したいと思っています.

というとカッコいいのですけど,実はぼく,ふだんは普通のサラリーマンなので, この連載の原稿の大部分は,通勤電車の中で書いているんです.なので,手元には ぼろっちい Libretto が一台しか無い,という理由が実はほとんどなわけなんです けどねー.

(2005.04.10追記)

とまあいろいろ考えて書いてきたわけなんだけど,いまさらなんだけど FreeBSD PRESS はずいぶん前に,休刊状態になってしまったようだ.

この連載はもともと8回分くらいのネタは出してあったのだけど, FreeBSD PRESS は隔月刊なので時間的な余裕もあるし, ネタは尽きることは無いので,許される限り,できるところまで 連載を続けようと思っていたのだけど,とても残念だ.

今は Interface でリンカの記事の連載中なのと,ほかにも書きたいものがあるので, こっちはしばらく置いておくけど,また時間ができたらどこかで連載したいなあ.

うーん,でも,どこの雑誌がいいかしら?

内容的にプラットホームは限定せざるを得ないので,ぼくの場合は FreeBSD どっぷりの 記事になってしまう.そんな意味で FreeBSD PRESS はちょうどよかった (隔月というのもよかった)のだけど, 次やるとしたらやっぱし Linux でないとダメかしら.


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